kashinokiの日記

ケーキ屋をオープンするまで

正しく畏れを抱く・・・

本日はとても良いお天気。ひさしぶりの晴天にうれしくなって朝6時から1時間半も歩いてしまいました。

野田山も大乗寺公園もとても美しく、朝露と若葉や苔のコントラストに、あー自然には勝てないなー、と実感します。

今朝も野田山の戦没者慰霊碑に参って、本日の無事と今日の感謝をお祈りしてまいりました。野田山は墓地園なので、怖くないの?とよく聞かれることがありますが、「ぜんぜん怖くありません。」そもそも霊感もありませんし、熊が出てくるほうがよっぽど怖いです。

では、霊など信じてないかというとこれは少し私なりの考えがあります。

科学的なことで言うと霊と言うのは、99.9%われわれの脳が見せているに違いありません。つまり幻覚です。われわれは生まれて歩き出し、心臓が止まればそれで終わりです。後は灰になってたんぱく質に分解されそれが次の生物のエネルギー源になってしまうのです。そういう意味では命はめぐりめぐって何億年先まで消えるわけではないともいえます。

しかし人間の人格や生き方などは死んだらそこで終わりです。霊になって漂い続けるなんてことはありえません。

だからこそ生きること、産まれることは奇跡的であり、それ自体に何物にも変えがたい価値があり、生きている限り命を燃やさなくていけない、自分らしく一所懸命に生きたい!と思うのでしょう。

しかし霊の存在を信じてないのではありません。そういうものがあったほうが良いのです。先祖や自然を敬い、われわれの人知を超えたものが私たちの上に存在していることが、人間を謙虚にさせるのだと思います。「そんなことをしてたらバチがあたるよ」、「お天道様が見取るよ」、「神様に手を合わせなさい」子供のころにそう教わることは大切だと思います。

まだ関西にいたときに阪神・淡路大震災を経験しましたが、もちろん大変な不幸で遺族の方もいらっしゃるので簡単にはいえませんが、それでもあの震災が私の人生に、「おごってはいけない、うまく言っているときほど足元見なくては」という価値観を植えつけてくれました。あの震災のおかげで謙虚な自分を見失わないでいれます。

おごらず、正しく畏れることが人類の暴走を防ぎ、人の進むべき生き方を示してくれるのではないでしょうか。

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今朝の大乗寺公園。朝もやの金沢の町並み。とても美しい。

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野田山の登ってる途中にある、かつての貯水池かな?苔がいい感じに廃墟感を演出してます。

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朝日に浮かぶ忠霊塔。今日の平和も祖先のおかげ。

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帰りに大好きなパン屋で朝食を買いました。